決断、行政から政治の世界へ

私は、日本の将来に不安を抱き、政治の世界からこの国を改革したいと思い、2005年に外務省を退職し、政治の世界を目指しました。熟慮の上の決断でしたが、その後の歩みは決して平坦なものではありませんでした。

2007年、生まれ故郷でもある北九州市で政治活動を始めました。故郷とはいえ、大学入学から14年離れていた街では、私は34歳の無名の青年でした。最初に八幡駅で街頭演説をやった時、足が震えたことを今でも覚えています。「あんた、誰?」、何度も問い掛けられました。

それでも、多くの方のご厚情を頂き、2009年に初当選させていただきました。しかしながら、今、思い直せば「風」で当選したのだということを痛感します。地元にしっかりと腰を据えず、東京での与党議員生活にかまけていたのだと思います。当然、3年後の強烈な逆風に耐えられるような私ではありませんでした。2012年末、35000票を超える差で大敗しました。

落選で学んだ「聞く」ことの大切さ

そこから、私の挑戦が始まりました。地域をコツコツと一軒ずつ回る、そして、地元のお声をたくさん聞く、ここに徹しました。批判も冷笑もありました。しかし、2年間、自分の選択を信じて歩きました。

そして2014年の戦いは最後の最後で比例復活。当選が決まったのは、投開票日の翌日午前2時34分でした。差は63票、すべてのお支えいただいた方々への感謝の気持ちは永遠に忘れません。

その後は2期目の議員として、北九州から送り出していただいている身として、胸を張って国会では頑張ってきました。国会での質疑のレベル、時間数、どの議員と比較しても負けないだけの活動に努めてきました。常に念頭にあったのは、落選中に地元北九州で伺った多くの声でした。

「我、天下の礎とならん」

2017年の総選挙で苦杯を舐めてから約4年。この間、「再生」をキーワードに、党派を超えた政治活動を継続してまいりました。

日本を取り巻く環境は、少子・高齢化、人口減少、地方の疲弊、日本を取り巻く外交・安全保障、すべてにおいて厳しさを増す中、昨年来のコロナウィルスの蔓延で大打撃を受けている状況です。私は、北九州の地からそれらすべてのテーマについて、答えを見出すべく考えを巡らせています。現在、論戦の第一線に立てる身ではありませんが、時代の変化に合った解決策を求め、自分自身と社会の「進化」をイメージしながら研鑽を積み重ねています。

これから第3ステージに向けて戦いに臨みます。「我、天下の礎とならん」と心に誓い、この北九州の事、そして日本の事を憂うる志士として歩んでいきます。

選挙への思い

「政治にはカネが掛かる」、「選挙にはカネが掛かる」というのが、裏金が生じる理由の説明として使われました。
無所属である私は企業団体献金を受け取れません。政党助成金もありません。選挙の時、どの組織からも軍資金はやって来ません。国会議員の中で、政治資金が極めて少ない議員だろうと思います。しかし、私は自分自身の歩みを通じて、「政治・選挙にはカネが掛かる」という裏金に関する言い訳を打ち砕くモデルを提示したいと思っています。